「小さき者たちの戦争」戦争って聞いただけでアレルギーの方にも

小さき者たちの戦争」「小さき者として語る平和」
福岡賢正(著)南方新社
(鹿児島の出版社です)
この2冊を勧められたとき、
「戦争」という言葉をみただけで少し拒否反応がありました。

でも、「小さき者たちの戦争」を読み始めたら・・・
今まで知らなかった、知っていたとしても
片隅に追いやられていた戦争の別の面が
これでもかこれでもかと思い知らされました。

表紙の絵の作者のインタビューから始まります。
その表紙の絵は細部も描かれた精密画ですが
その写真のような絵から何かが強く伝わってきます。

次の章では、特攻機が畑につっこんで
畑にいた母の凄惨な(プロペラで引き裂かれた)
最後を目の前で見た息子がそれから60年以上も
普通に生活できない心にしてしまっていたインタビュー。
もう一人の亡くなった母親代わりに80歳の
おばあちゃんが一人で末っ子は3歳の孫を4人育てた。
おばあちゃんは末っ子が成人した年の97歳に亡くなった。
その孫も75歳、72歳となるのだけれどそのインタビュー。

どの話も胸に詰まる。
そして、今まで知らなくて・・・という思いになる。

『「悲劇」はいくらでも美しく描ける。
しかし「惨劇」を美しく描くのは難しい。』

とあるように、特攻隊の命がけの悲劇はいくらでも
今まで見たり聞いたりしていたけれど
隠されてきた惨劇が沢山あったのですね。

どの章でも、深い傷があり、今でも終わっていない事を
知ります。

なかでも、私的に印象深かったのは
好きな画家である 香月泰男のシベリアシリーズに
関することでした。
出版した「私のシベリア」の中で書かれている文章を
かなり長く引用されていました。
広島長崎の原爆で真黒焦げになっていたのを「黒い死体」
リンチを受け全身の皮膚をはがされて満州の線路脇に
転がされていた日本人の「赤い屍体」とを対比させて。
「黒い屍体」は被害者としての、
「赤い屍体」は加害者としての1945年の、戦争の
象徴であったと。
「黒い屍体」によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
「赤い屍体」について、どう考えればいいのか、責任は誰が
どうとればいいのか、再び生み出さないためには・・・と
考え続けるために「シベリアシリーズ」を描いてきたのかもしれないと。

「―――――― 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体
からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。戦争の悲劇は、
無辜の被害者の受難によりも、加害者にならなければならなかった者に
より大きいものがある。私にとっての1945年は、あの赤い屍体にあった。
もし私があの屍体をかかえて、日本人の一人一人にそれを突きつけて
歩くことができたなら、そして、一人としてそれに無関係ではないのだと
いうことを問いつめていくことができたならもう戦争なんて馬鹿げたこと
の起こりようもあるまいと思う」

という文章が知らなければいけないけれど 追いやっていた
光を当てていなかった戦争の本質を言い当てているように
思えました。

そして、知れば知るほど分からなくなる自分がいる。
でも、知らなくてはいけないと思う自分もいる。

そして、答えは一つではなくて 考えも答えも一つに多くの人が
集中するようになってきたら 立ち止まることも必要だと。
文化も思想も統一しようとしている動きは怖い事かもしれない。
正しい事は一つではないんだから。

続編の「小さき者として語る平和」は
6人の著名な方との対談集となっています。
 
戦争ってなんだろう平和ってなんだろうって、また原点から考える
材料を与えていただいたような本です。

一人でも多くの人に 「赤い屍体」の方も考えてもらうために
読まれて欲しい本でした。
「黒い屍体」の方しか知られていなさすぎますよね。
もちろん、そちらもずっと忘れてはいけない事だと思います。

それには図書館にリクエストして入れていただけるといいですね。

浜松市と磐田市は入っていましたよ~。

おすすめして下さった方がリクエストしてくれたのでキラキラ



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